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栄太(えいだ)の映画日記
以前書き溜めていた日記のうち映画に関することをweb公開。 映画の所感や、見て思いついたことなど、あなたの映画選びの参考にどうぞ。 もとが個人の日記なのでネタバレありですがご容赦あれ。
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世界遺産「モスタル旧市街の古橋地区」
(10/27 「民族問題に対する私見」を追記)
(10/21 「ユーゴスラビアの歴史についての要約」を追記)

10/8、TBSで放送の「世界遺産」を観た。

【TBS「世界遺産」 第515回 モスタル旧市街の古橋地区】
TBS・2006年10月8日放送
モスタル旧市街の古橋地区(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
戦火からよみがえった悲劇の橋…ボスニア
URL: http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20061008/slide.html

モスタル1


この回の放送は、非常に印象深い内容でした。

「旧ユーゴスラビア。6つの民族、4つの言語、3つの宗教を持っていた国は、1990年代はじめ、いくつもの内戦を経て解体しました。
激戦の地モスタルは、かつて、美しい橋で知られる平和な街でした。
しかし、ボスニア内戦のさなか、その橋は無残にも壊されたのです。」(番組ナレーションから)


非常に複雑な歴史的経緯を持ち、紛争が繰り返された旧ユーゴスラビア地域。
(歴史的経緯については、Read More以降の「旧ユーゴスラビアについて」を参照してください)
その地域の中心に位置する現在のボスニア・ヘルツェゴビナ。
そのボスニア・ヘルツェゴビナで、民族融和の象徴である橋が2005年に世界遺産として登録されたのです。

僕がボスニア紛争について特によく知るようになったのは、映画「ノーマンズ・ランド」を観てからです。
それ以前はなんだか、恐ろしいことが行われているな、という程度の認識でしかなかったですが、それ以降、この地域の政治的推移について、とても気になるようになりました。

ボスニア内戦で深い傷を負ったこの国では誰もが戦争経験者であり、その誰もが「自分の家族を殺した人を知っている」という。
あまりにも身近で殺し合いが行われたのだ。

その紛争の中でイスラムとカトリックの地域をつないでいた橋が破壊されます。
モスタル3


カトリック教徒とイスラム教徒
モスタル4

モスタル5


戦争で傷を負ったケマルさんが次のように話します。
「あの戦争は、政治が市民を憎しみあうように仕向けたのだ。」

復興された後の橋
モスタル6

橋からダイビングする人
モスタル7


そして、番組の終盤近くの次の言葉が特に印象に残りました。

「2005年、よみがえった橋と旧市街は、世界遺産に登録されました。
なぜ平和は、時にいともたやすく失われてしまうのか、僕たちにそう、問い続けるために。」

番組の最後はそのように明るい未来を感じさせる印象で終わっています。
しかし、あまりにも「めでたしめでたし」という終わり方になっていて、何か影の部分を見ないようにしているようで心配されます。
今後にずっとそのような希望が持てるのか、それはわかりません。
影となっている部分に目をつむらないようにしなければならないでしょう。

【関連記事へのリンク】

クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナを考える会
http://blog.cro-bih.org/?day=20061008


Read More以降には、「ユーゴスラビアの歴史についての要約」を書きました。

【ユーゴスラビアの歴史についての要約】

1991年に解体するまで存在した旧ユーゴスラビアという国家は、様々な民族、宗教が交差するバルカン半島の大部分を占めていた。

バルカン半島と言えば、社会の歴史の教科書でも「ヨーロッパの火薬庫」として出てくる地域である。そして、1914年にオーストリア皇太子が暗殺される「サラエボ事件」が起こった地であり、これを契機として第一次世界大戦が勃発した。

第一次世界大戦後、「セルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の王国」が成立した後、各民族の主導権争いの結果、セルビア人を中心の政府が成立し、「ユーゴスラビア王国」が成る。
しかし、ナチスドイツによる圧迫により、王国は再び壊滅。
ナチスの傀儡政権により、ユダヤ人、セルビア人への迫害がなされ、民族対立への根が残る。

ここで、ばらばらになったユーゴ内の各民族を、チトーが束ね、1945年にユーゴスラビア連邦人民共和国が成立。
この時、スロヴェニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの六共和国を主体とする連邦制がしかれた。
この連邦制は、ソ連型のモデルをとっていたため連邦の権限が強く、共和国間の境界線設定が厳密でなかったため、その後のユーゴの解体時の国境問題が生じるもととなった。

1980年にチトーが死去すると、ユーゴの結束はゆるんだ。
そして、1990年に実施された自由選挙では、民族主義による独立的傾向を高めていた連邦各国で連邦の維持について意見が割れ、1991年6月にスロヴェニアとクロアチアが独立を宣言した。
これにより、ユーゴとの間に紛争が生じるが、1992年2月にECからスロヴェニアとクロアチアの両共和国の独立が承認され、実質的な独立が成る。

1992年4月には「ボスニア・ヘルチェゴビナ・セルビア人共和国」が樹立されるが、独立が承認されると、3民族間の領土拡張をめぐる争いが激化していく。(ボスニア紛争)
この地域においてはセルビア、クロアチア、ムスリムの異なる民族同士の結婚が珍しくなく、混住が進んでいたため、紛争において民族間で戦うということは、隣人同士、近親者同士が殺しあうということにつながった。
混迷の状況下、政治的解決は困難を極めたため、1994年からNATOによる空爆が実施され、1995年11月にアメリカ主導によって、ようやく3者の和平合意がなされた。

しかし、今度はボスニア紛争で発生した難民の移動により、コソボ地域の民族バランスが崩れ、コソボ紛争が勃発する。混乱は長く続いたが、1999年の空爆を経て、この紛争もどうにか収束をみた。
2002年、旧ユーゴのうち残されたセルビア、モンテネグロの両共和国は、連邦を形成することとし、2003年には「セルビア・モンテネグロ」に国名を変更、ここにユーゴスラビアという名称は地理上から消滅する。

そして、2006年3月、コソボ紛争における罪を問われていていたミロシェビッチ元ユーゴスラビア大統領が獄死するという衝撃的な事件が起こり、こうした民族間紛争の責任の所在が不透明なまま、2006年6月にセルビアとモンテネグロは分離独立し、ここに旧ユーゴスラビアの完全な解体が終わった。

しかし、紛争を経た民族間のわだかまりは解消されたわけではなく、旧ユーゴスラビアという問題はまだ終結していない。

参考文献
・「ノーマンズ・ランド」ガイドブック(アーティストハウス) 
・「図説 バルカンの歴史」 柴 宣弘著(河出書房新社)
・Wikipedia 「ユーゴスラビア」「バルカン半島」「セルビア・モンテネグロ」「ボスニア・ヘルツェゴビナ」



旧ユーゴ周辺地域の地図とモスタルの橋の位置
モスタル2



【民族問題に対する私見】
歴史をよく学んでいない状態の、拙い意見ではありますが、今現状の自分の私見を以下に書いています。

まず、民族問題を問題として考えるには、「民族」とは何かをまず考えるべき、と思います。
「民族」というはっきりとした概念が現れてきたのは19世紀以降であると思われますが、今現在でも「民族」という概念にはあいまいなところがあります。

三省堂の大辞林には、「民族」という項目は以下のように書かれています。

「われわれ…人」という帰属意識を共有する集団。従来、共通の出自・言語・宗教・生活様式・居住地などをもつ集団とされることが多かった。民族は政治的・歴史的に形成され、状況によりその範囲や捉え方などが変化する。国民の範囲と一致しないことが多く、複数の民族が共存する国家が多い。


まず、国家や会社組織とははっきりちがうのが、その人がその集団に属しているのかいないのかがはっきりとしないことです。
さらに、国家や会社組織では、一般に一つの組織に属する人は他の組織には属しないものですが、民族という分類においては、その切り分け方によっては複数の民族に属してしまう可能性があります。

民族という概念は、その定義からして多分にあいまいなのですが、問題なのはこのあいまいな概念を使って運動されてしまうことです。例えば「民族自決」という考え方が20世紀になって発生してきましたが、どの範囲が民族でどういうことを自決するのでしょうか。ある人にとって、民族というものが一義的に決まるのでしょうか。ある人が、仮に複数の民族に属するようなときに、それぞれの民族の方向性は相反しないのでしょうか。そもそも、その人は民族に「属している」のでしょうか。

僕が言いたいのは、世界中の人々それぞれが、「私は××民族です」といえるかどうかということです。
これは、意識している、意識していないのことを問題にしているものです。
「民族」というもともとの概念からすれば、帰属意識のあるなしが民族であるか否かを分けるので、本人に帰属意識がないのに「あなたは××民族です」などと言われる筋合いはないはずです。

もともと、それぞれの人が××民族である、などという区別はなかったのに、「民族」という概念を持ち込むことで、外挿的に区別がなされてしまったという現状が問題なのでは、と僕は考えます。

本来、分けるべきでない、あるいは、分けなくてもよいことを、無理矢理に分けてしまった。
それが歪みを生み出し、また、その歪みを利用しようとする人たちを生み出してしまったのではないか、というのが僕の意見です。

ある場所に住む、10%の人たちにとっては民族という観念が必要だった、しかし、他の90%の人たちには必要なかった。しかし、90%の人たちも、10%の人たちの主張につられて、そういう観念を認めてしまった。それにより悲劇が生み出されてしまった、とも言えると思います。

特に本文で書かれたボスニア紛争においてはこれが顕著だと思います。ボスニアに居住する一部の人々が3つに分かれて争いをはじめたため、残りの大多数の人たちも、3つに分かれざるをえなかった、という状況です。

「民族」という名の人々を隔てる仕切りが存在していなければ、そこまでむごいことにはならなかったのでは、と僕は思わざるをえません。

僕たちはこうした紛争などの歴史的な教訓を見て、社会のあり方そのものが本当にそのままでいいのか、ということを常に考えていかなければいけないと思います。
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テ・ワヒポウナム-南西ニュージーランド 【海外移住計画中@ゆうの世界遺産レポート】

こんばんは、ゆう@海外移住計画中です。今日も海外移住@世界遺産レポートへの訪問ありがとうございます。今回はオセアニアに飛びます~(o゚ー゚)o ニュージーランドの世界遺産・テ・ワヒポウナム-南西ニュージーランド -(1990年、自然遺産) のレポートです☆早... 海外移住計画中@ゆうの世界遺産レポート【2006/11/25 18:52】

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